2020年6月15日月曜日

2020/6/15 読書記録

「アウトプット大全」
こちら
内容なし。図書館で予約して1年待って借りれたが、1年も待つ意味なし。
てなことをアウトプットしてみた。

2015年2月26日木曜日

Ⅲ哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理及び範囲を規定するような学を必要とする

或る種のア・プリオリな認識は一切の可能的経験の領域を捨て、単なる概念によって、我々の判断の範囲を経験の一切の限界を越えて拡張するように見える。

2015年2月24日火曜日

我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない。(2)

もし或る判断が厳密な普遍性を持つと考えられるならば、このような判断は経験から得られたのではなくて、ア・プリオリに得られたのである。

ア・プリオリな純粋判断が人間の認識に実際に存することは容易に証明できる。数学がその一例である。

我々の認識能力の純粋使用が事実として存在すること。

「物体」という概念から一切の経験的なもの(色、硬さなど)を抜き去っても、その物体が占めていた空間は残っている。空間は除去することができない。

2015年2月19日木曜日

我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものでない。(1)

問い:純粋認識と経験的認識とを確実に区別するものは何か?

「経験」は、あるものが事実であることを示すことはできるが、そのものが「それ以外ではありえない」ということ(=必然性)を示すものではない。

ある命題が必然性を持つとすれば、それはア・プリオリな判断である。
「経験」はその判断に厳密な普遍性を与えるものではない。あくまでも相対的普遍性のみである。



2015年2月18日水曜日

純粋認識と経験的認識との区別について(1)

・我々の認識はすべて経験をもって始まる。「感覚」に触発されて生起する「対象」。
・ 「直観」において与えられたのものに、「悟性」(我々の認識能力)が付け加わってできた合成物である。
⇒経験にかかわりのない認識、一切の感覚的印象にすらかかわりのない認識が存在するのだろうか??

・経験から生起される認識・・「ア・ポステリオリ」な認識
・経験と関わりのない、人間が始めから持っている認識・・「ア・プリオリ」な認識

 「経験的認識」と「純粋認識」とは区別される。