海すずめ(インドア篇)
海に居るときの海すずめとは別のことを書いてみます。
2015年2月18日水曜日
純粋認識と経験的認識との区別について(1)
・我々の認識はすべて経験をもって始まる。「感覚」に触発されて生起する「対象」。
・ 「直観」において与えられたのものに、「悟性」(我々の認識能力)が付け加わってできた合成物である。
⇒経験にかかわりのない認識、一切の感覚的印象にすらかかわりのない認識が存在するのだろうか??
・経験から生起される認識・・「ア・ポステリオリ」な認識
・経験と関わりのない、人間が始めから持っている認識・・「ア・プリオリ」な認識
「経験的認識」と「純粋認識」とは区別される。
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引籠もりシーカヤッカー兼ソフトウェアエンジニアです。 I'm indoor seakayaker, and also software engineer
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Ⅲ哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理及び範囲を規定するような学を必要とする
我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない。(2)
我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものでない。(1)
純粋認識と経験的認識との区別について(1)
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