海すずめ(インドア篇)
海に居るときの海すずめとは別のことを書いてみます。
2015年2月19日木曜日
我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものでない。(1)
問い:純粋認識と経験的認識とを確実に区別するものは何か?
「経験」は、あるものが事実であることを示すことはできるが、そのものが「それ以外ではありえない」ということ(=必然性)を示すものではない。
ある命題が必然性を持つとすれば、それはア・プリオリな判断である。
「経験」はその判断に厳密な普遍性を与えるものではない。あくまでも相対的普遍性のみである。
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Ⅲ哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理及び範囲を規定するような学を必要とする
我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない。(2)
我々はある種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものでない。(1)
純粋認識と経験的認識との区別について(1)
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